
賃貸物件の経営では、家賃滞納や近隣トラブルなど入居者側の問題だけでなく、建物の建て替えや売却といった貸主側の事情により、入居者に退去を求めたい場面があります。しかし、建物賃貸借では借主の権利が強く保護されており、貸主の意向だけで明渡を求めることは容易ではありません。本コラムでは、入居者に明渡を求める場合の法律上の考え方、管理会社に対応を求められる範囲、弁護士へ相談する際のポイントを整理します。
第1章 入居者の明渡が簡単には認められない理由
1-1 借地借家法が定める借主の保護
自己が所有するアパートやマンション、戸建て住宅であっても、賃貸借契約を締結して他者に貸し出した場合、貸主の都合だけで自由に入居者を退去させることはできません。建物の賃貸借においては、借地借家法によって、借主の居住の安定が強く保護されているためです。
特に居住用物件では、借主にとってその部屋が生活の本拠であることが少なくありません。急に退去を求められると、次の住まいを探す必要があり、引越費用や新居の初期費用の発生、学校や勤務先などの生活環境に影響が出ることもあります。
そのため、普通建物賃貸借では、契約期間が満了したからといって当然に契約が終了するわけではなく、借主が継続して住み続けることを希望すれば、契約は原則として更新される仕組みになっています。
所有者が物件を売却したい、あるいは親族を住まわせたいといった事情が生じたとしても、それだけの理由で借主に対して一方的に退去を求めることは、法的な観点から認められにくいのが実情です。
1-2 更新拒絶や解約申入れには正当事由が必要になる
入居者に対して、貸主側から建物賃貸借契約の更新を拒絶したり、解約を申し入れたりする場合に重要になるのが、借地借家法に定められている、いわゆる正当事由です。
正当事由とは、簡単にいえば、契約を終了させて明渡を求めるにあたって、客観的に見て正当といえる理由のことです。
この正当事由があるかどうかは、主に以下の要素を総合的に考慮して判断されます。
・賃貸借契約に関するこれまでの経緯
・建物の利用状況
・建物の老朽化や修繕状況などの現況
・明渡と引き換えに立ち退き料などの財産上の給付を申し出ているか
実務上、特に重要になるのは、貸主側がその建物を使用する必要性と、借主側がその建物を使用し続ける必要性の比較です。
たとえば、老朽化が進み、安全面から建て替えの必要性が高い場合や、貸主自身または親族が住む必要性が具体的にある場合には、正当事由を基礎づける事情になり得ます。一方で、より高い賃料で貸したい、売却しやすくしたいといった事情だけでは、正当事由として不十分と判断される可能性があります。
第2章 なぜ不動産管理会社だけでは明渡対応が難しいのか
2-1 管理会社ができるのは督促や注意喚起などの任意対応まで
不動産管理会社は、家賃滞納や騒音トラブルが発生した場合に、入居者へ連絡を入れたり、注意文書を送ったりすることがあります。家賃滞納であれば、電話や書面で支払いを促す、保証会社に連絡するなどの対応、騒音やゴミ出しなどの生活トラブルであれば、注意文を投函したり、掲示をしたり、本人に改善を求めたりすることがあります。
しかし、管理会社の対応は、あくまで入居者に任意の対応を求めるものです。
入居者が電話に出ない、書面を無視する、督促に応じない、あるいは「退去するつもりはない」と明確に拒否している場合、管理会社にはそれ以上の手段がなく、対応できない状態になっていると考えられます。
2-2 法的紛争になると非弁行為の問題が生じる
家賃滞納が長期に及んでいる場合や入居者に明渡を求める段階になると、法的な紛争として整理する必要が出てきます。
入居者に対して賃貸借契約の解除を通告する、明渡を求めて交渉する、立ち退き料の金額を協議する、退去日や未払賃料の支払方法を定める合意書の内容を調整するといった対応は、法律上の権利義務に関わる行為です。
ここで問題になるのが、非弁行為です。非弁行為とは、弁護士でない者が、報酬を得る目的で、法律事件について代理人として交渉したり、法律事務を業として取り扱ったりすることをいいます。管理会社が貸主の代理人として、契約解除や立ち退きに関する交渉を進めると、非弁行為の問題が生じる可能性があります。
そのため、管理会社から「これ以上の対応は難しい」と言われた場合には、管理会社として対応可能な業務の範囲を超えていると理解した方がよいかもしれません。
貸主としては、段階が変わったと捉え、明渡を求めるための法的な見通しについて、弁護士への相談を検討することが現実的な対策といえます。
第3章 入居者に明渡を求める際の法的な対応策
3-1 契約違反がある場合は信頼関係の破壊を理由に契約解除を求める
入居者側に重大な契約違反がある場合には、正当事由や立ち退き料の問題ではなく、賃貸借契約の解除を検討することになります。
賃貸借契約では、形式的な契約違反だけでなく、貸主と借主の間の信頼関係が著しく破壊されたといえるかが重要になります。
たとえば、次のような事情がある場合には、契約解除を検討できる可能性があります。
3ヶ月以上の家賃滞納
数日程度の遅れではなく、数ヶ月にわたって累積し、支払いの意思が見られない場合
無断転貸や用途違反
貸主に無断で第三者に部屋をまた貸ししたり、住居用契約であるにもかかわらず不特定多数が出入りする営業店舗として使用したりしている場合
深刻な近隣迷惑行為
昼夜を問わない騒音、ゴミの放置による悪臭や害虫の発生など、他の入居者の生活環境を著しく脅かし、改善要求にも応じない場合
ただし、これらに該当するような事情があっても、直ちに解除が認められるとは限りません。家賃滞納であれば、滞納期間や督促時の入居者の対応など、近隣トラブルであれば、具体的な苦情内容や注意後の改善状況など、貸主側として打てる対策を行ったにもかかわらず、入居者が応じなかったという客観的な事実を積み上げておく必要があります。
3-2 正当事由が弱い場合は立ち退き料の提示を検討する
一方で、入居者に家賃滞納や迷惑行為などの明確な契約違反があるとはいえず、建物の老朽化や売却、親族の居住など、貸主側の事情で退去を求めたい場合には、契約解除ではなく、更新拒絶や解約申入れを前提とした立ち退き交渉を検討することになります。
しかし、貸主側の事情だけで法律上の正当事由として認められる可能性は低いのが実情です。そこで、実務上、検討されるのが一般的に立ち退き料と呼ばれる金員の提供です。
立ち退き料は、借主が退去することによって発生する経済的負担や生活上の不利益を一定程度補うために、貸主が支払う金銭です。月額賃料の何か月分という形で語られることもありますが、実際には契約期間や貸主側の必要性、移転の難易度などが考慮され、決まった相場があるわけではありません。
また、立ち退き料を提示しても当然に退去を求められるというものではありません。
そのため、更新拒絶や解約申入れを前提とした立ち退き交渉では、法的な見通しと入居者との交渉上の現実性を踏まえた対策が重要になります。
第4章 明渡を求める際に貸主が避けるべき対応
どれほど入居者側に問題がある場合でも、交渉や裁判所の手続きを経ずに貸主が強制的に退去させる行為は原則として認められません。
たとえば、次のような行為は、明渡を求める方法として行うべきではありません。
・電気、ガス、水道などのライフラインを独断で止める
・部屋の中にある家具や私物を、貸主の判断で搬出して処分する
また、上記まではしなくとも、入居者に対して過度な頻度で電話をかける、深夜や早朝に訪問する、玄関前で大声で退去を求める、部屋の前で長時間待ち続けるといった対応も、態様によっては脅迫的な言動や社会通念上相当性を欠く督促として、損害賠償請求などのトラブルにつながるおそれがあります。
さらに、本人が応じないからといって、連帯保証人ではない親族、勤務先などへ連絡し、本人への伝言を促すような行為も慎重に考えるべきです。関係のない第三者を巻き込む形になるため、入居者から不当な圧力を受けたと主張されるリスクがあるためです。
入居者に明渡を求める場面では、貸主側の不満が大きくなりやすく、強い対応を取りたくなることが少なくありません。しかし、自己判断で督促や退去要請を進めると、後に弁護士が介入した際の交渉や訴訟で不利に働いてしまうことがあります。一人で対応に悩むよりも、早めに弁護士など専門家に相談し、明渡に向けた具体的な対策の検討を始めることをおすすめします。
第5章 弁護士に明渡を相談する前に整理しておくこと
5-1 滞納や迷惑行為の経緯を時系列でまとめる
弁護士が法的な対策を判断する上で、いつ何が起きたのかという客観的事実が重要です。
家賃の滞納であれば、いつから未払いなのか、管理会社が何月何日にどのような方法で督促し、相手がどう返答したかなどを日付順のメモにまとめます。
騒音やゴミ放置などの迷惑行為であれば、被害のあった日時、苦情の回数、注意した履歴を記録します。
主観的な感情は交えず、事実関係のみを時間の流れに沿って記述しておくことで、弁護士は信頼関係の破壊が認められる段階にあるかを精査しやすくなります。
5-2 契約書や入金履歴などの資料を一式そろえる
相談時には、客観的な証拠書類となる関係書類を持参しましょう。
必ず準備すべき基本資料は以下の2点です。
・滞納額を証明する通帳のコピーや管理会社の家賃管理表
さらに、これまでに送付した催告書や、入居者とのメールやメッセージのやり取り、迷惑行為の録音・写真、近隣からの苦情申入書なども証拠になり得ます。
これらの資料があることで、契約違反を理由とする解除による明渡を目指せるか、任意退去を促すために解決金の提示を検討すべきかといった法的対策の選択肢を導き出しやすくなります。
5-3 交渉・訴訟・強制執行を見据えて自身の優先順位を整理する
明渡の進め方としては、主に、弁護士名義の書面による「任意交渉」、裁判を起こす「明渡訴訟」、最終手段である「強制執行」という段階があります。
たとえば、費用がかかってもいいから一刻も早く退去させたい(スピード重視)のか、時間はかかっても滞納家賃を全額回収したい(経済性重視)のか、ご自身の優先順位を固めておくことも重要です。
これにより、弁護士も任意交渉をどこまで行うか、早期に訴訟へ移行すべきか、強制執行まで見据えるべきかを判断しやすくなります。
第6章 大切な資産の安定運用のために
不動産管理会社による対応範囲を超えてしまった入居者の明渡問題は、単なる管理の領域ではなく、法的な見通しを踏まえて対応すべき段階に入っているといえます。日本の法律において借主の権利が強く保護されていることや、正当事由の立証が複雑であることなどを理解しないまま独断で動くことは、予期せぬリスクを背負うことにもなりかねません。
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